2013年1月17日木曜日

高付加価値労働のみに専念するという思想は本当に正しいのか?

ある日、休暇中の後輩に、仕事を手伝ってもらいました。

オンラインマーケティングに強い彼に、ソーシャルメディアの活用方法を考えてもらい、
具体的なアクションレベルまで落とし込んでもらいました。
頼りになる後輩で、持つべきものは優秀な後輩だとつくづく思った次第です。

後輩の仕事ぶりに感心しながら気づいたのは、
彼に企画してもらったアイデアを実行するためには、
最終的に、何百回・何千回と単純な反復作業をする必要があることでした。

後輩は、「これは僕のやる仕事ではないですね」と言いました。
その意味するところは、優秀な彼は付加価値の高い仕事に専念し、
単純作業は他に任せられる人に任せるべきだという考えです。
これは、非常に経済合理的な正しい考え方です。

実際、私自身も、コンサル時代にそのような労働思想に従い、
次に就職したベンチャーでも、自分がなるべく仕組みに落として、
作業は作業が得意な人に任せるようにしていたものでした。

しかし、自分の会社のような、本当に始まりの始まりに位置するスタートアップでは、
この合理的思想は意味があるのだろうかと疑問に思うことがあります。

「何が合理的で、何が非合理かどうか以前に、とにかく自分がやらないと始まらないのが現状じゃない?」
——そんな風に思うのです。
リソースの潤沢な企業ならともかく、
いま、1人で、いろんな人の助けを得ながら回しているここでは、
とにかく自分が何でもトライし、泥臭くやるしかないのです。

そう思うと、頭で考えて仕事を割り振るというよりかは、
とにかく実行に移して、頼れるときには人に頼る、
それのみだ、とも思うのです。

組織にいた頃は、「これはやる、あれはやらない」、
と振り分ける思考がありましたが、
今は「とにかくやる」思考です。
とにかくやって、ある程度組織化したところで初めて、
「これはやる、あれはやらない」思考が意味をなしてくると思うのです。

でも、単純作業でも泥臭くやっていると、
作業の書類やデータの中から光る何かが見つかり、新しい気づきが得られます。
非合理なように見えて実は価値がある、そんな世界もあるのです。

組織化し、早く任せられる人を迎えることも大事だなと思いつつ、
作業する現場の中で多くを学べることも素晴らしいことだなと思いながら
ボタンを連打するのでした。


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2012年10月28日日曜日

ググレカスじゃなくて、情報降ってこいカス

ググレカス、という言葉がある。

人に訊く前にググりなさい、という意味である。

仕事としても、ネットマナーとしても、これは正しい。

でも、Webサービスの設計思想としては正しくない。

グーグルは便利だ。

でも、検索しない人がいるということは、検索は手間だと思っている人がいるということである。

ググらなくても有益な情報が振ってくるのが次のイノベーションである。

Windows8をインストールした人が、自分のPCがタッチパネルにならないとクレームしたという笑い話があるが、これも同じことが言えるだろう。

ユーザからすれば、ハードもソフトも区別がつかないのである。

こういう笑い話こそ、新しいサービスを考えるきっかけだなぁと思う。


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「へい、兄さん、起業怖くないですか?」

「起業怖くないですか?」

よく訊かれます。怖い部分っていっぱいあるなあと思います。それと同時に、「会社で働きまくって体を壊す」のも怖いなあと思ったりします。

今の市場は、「会社で働いて体を壊したとき」のセーフティネットがあまりにも弱いからです。

「会社で働いて体を壊した人」はサイレント・マイノリティなので、その怖さを知る機会が非常に少ないのです。
(実は、サイレント・マジョリティと言っても過言でないくらいに、多いのです。)

それはさておき、
「3年以内に結果が出なかったらやめる」とか、「個人保証しない(失敗時、借金まみれにならない)」とか、うんぬんかんぬんを言えばいいのかと思ったのですが、
どうもそういうことではないようです。

思ったのは、「登山家は冬山でも登る」なぁ、と。

どんな仕事であれ、成功よりも失敗の方が多いし、
失敗は辛くてしょうがないのですが、
やりたいことがあれば、おのずとやるという側面はあるのではないかと思いました。

怖いのは事実です。しかし、怖いからしないというのは実は違うのではないかな、と考えています。

身の回りの起業家の知人、みんな仕事大好き。ほんと休まないっすねw


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安西先生、クリエイティブな仕事がしたいです!

若干、茶化したタイトルで恐縮です。。。

クリエイティブな仕事がしたいという人は多い。

新しいプロダクトを作るみたいなクリエイティブもあるし、
既存のプロダクトに新しい光を当てる広告もあるだろう。
中には、制度設計や課題解決もクリエイティブだと言う人もいる・・・

そんな話を伺っていて、どう申し上げたらよいか分からなくなることがある。

そんなある日、「これは思考の問題ではない。行動の問題である。」と気づいた。

その想いが本当なら、既に行動に移しているはずなのである。

どんなにしょぼくても、
新しい物が作りたい人は、新しい物を作っているはずだし、
社会問題を解決したい人は、近所のゴミ拾いでも何でもしているはずである。

小さなことでも、実行に移していれば、
徐々により大きなことが出来るようになる。
小さなことでも、実行に移していれば、
他の仕事も任される。

「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という金言があるが、
スキルがなくても、機会は創り出せるのである。

「これは思考の問題ではない。行動の問題である。」

安西先生、既にバスケしてますが何か?


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連続的成長と非連続的成長

先日、とある場所で、成長には2種類あるという話を学生さんにした。

1つは、連続的成長。勉強みたいに、1個ずつ知識を蓄えて、徐々に問題が解けるようになる、という種類の勉強だ。

もう1つは、非連続的成長。仕事していて、超理不尽で「なんか納得いかない!」・「苦しい!」と思うようなときでも、頑張っていると、ある日急に発想の転換を伴う等して、出来るようになることがある。

俗にブレークスルーと呼ばれているのは後者のことだ。

そこに来ていた学生さんは、みんな頭がいいし、ロジカルである。ロジカルであるというのは1つの才能でもあるけど、自分のロジックではありえないことを理不尽として、途中でその仕事を投げてしまうことがある。

すると、非連続的な成長が遅くなってしまうので、何も考えずにばかになれる人にいつか追い越されてしまう。なので、非連続的な成長というものを早く体感することが重要である。

そんな話をした。そしたら、そこにいらした仕事人の方が、「苦しいと思ったときは実は転職しない方がいい。乗り越えたときに転職した方がいいよ」とフォローしてくださった。

今は、大企業でもベンチャーでも、ロジック=有用と言われすぎている。
有用なだけに、ロジックは怖い。
その危険性を理解した上で、ロジックを使っていきたいものである。。。


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スーパーギークに教えてもらった上達の方法

起業して間もない頃、スーパーギークに出会った。

口をきくのも申し訳ないくらいの、スーパーギークだった。

そんな方に訊いてみたかったことがある。

「プログラミングの上達のコツって何ですか?」

かの人は神だった。

記憶を辿ると、こんな内容だったと思う・・・

「そのアプリを本当に作りたければ、何でもすると思う。どんな難しい本だって読むし、ネットでも調べるし、英語のドキュメントだって読むようになる。」

「作りたいものを作れば技術が身に付く。そこで得た技術と新しく学ぶ技術を合わせて、また新しい物を作る。・・・こうして技術は積み重なっていく。」

「よく、『プログラミングできるようになりたいんです!』という人が来る。分厚い本を与えて『1週間で読んできて』というと、読んでいなかったりする。本当に作りたければ、そんなことはない。」

プログラミングに限らず、本当にやりたい気持ちがあれば、人はやる。

やると決めれば、その想いは本当か、確かめることができる。

なので、とにかくやろう。作ろうと気持ちを強めた日だった。


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2012年5月21日月曜日

焦らないための方法

人は結果を急ぐ。焦るなといっても焦るのは自然なことだ。

しかし、焦るのと急ぐのは違う。

では、焦るとは何か?

それを、私は成長ステップが見えない状態だと思っている。

自分もそうだし、相談しにくる後輩もそうだったが、例えば社会人2年目にして優秀な5年目でも難しいことができていないからといって焦るというケースがあるものだ。

あれは、自分がどういうステップを踏んでいくべきかが見えていないから、社会人2年目にして5年目水準の仕事ができていないと思うのである。

厳しい現場なので、何年目だろうが高い水準の仕事をこなせと言われるので、ピュアに焦っているつもりなのだが、成長論の観点では、それはあまり謙虚な了見ではないのかもしれない。

AとBという下積みを経ないと、求められるCという高水準の仕事はできないので、まずはAとBをやるべきである。
にもかかわらず、AとBをまずは着手しなければならないということに気づいていないというのは、成長論的には謙虚ではないことになる。

当の本人が自らの成長ステップの全体像を理解できるはずがないから、AとBを経て初めてCができるということを伝えるのが、メンターの役割である。そして、それに基づき、当の本人はAとBをとにかく早くできるようにすることに集中するのが正しいはずである。

焦っている場合ではない。

焦っているいとまがあったら、メンターあるいは、メンターがいなくてもメンター代わりになる人を見つけて、成長ステップの全体像を描き出すべきである。

焦っているなあと感じたとき、そんなことを思った。



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